韓国大田(テジョン)にて

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東光橋

元洞交差点と大洞交差点の間、大東川にかかる橋から南を見るとある小さな橋。大田(テジョン)駅に近い。欄干には「昭和2年10月」と刻まれていたようだが、「昭和」の文字は削り取られている。大東川は昭和の初めごろの治水工事で整備された川。現在も水量は少ないが流れている。
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『大田市誌』上巻(古いほうの版)の該当箇所を見てみよう(直訳)。

大田の都市施設において大田治水工事及び下水工事がもっとも急務であった。1926年4月の大田面の拡張は大田の市街地の姿を変貌させる契機となった。長い間大田居留地大田指定面の中心人物として活動してきた渡辺寛治(木尺)が大田面長を辞任帰国、後任として農園(鉢岩里:現在の忠清南道庁の位置)を経営し、大田繁栄会長だった白石鉄二郎が大田面長に就任し、長年の課題であった治水工事及び下水工事を施工することになった。1926年3月に治水工事及び下水工事費本府(注:朝鮮総督府)及道費(忠清南道)補助が決定し(中略)1927年6月に治水工事が起工された。
大田治水工事とは大田市街地の中心部を貫流していた大東川・板岩川(三丁川)の氾濫を防ぐためにこの二筋の川の流れを新垈里(新興洞)付近で大東川に掘鑿合流させ、この大東川を蘇堤湖を経て蘇堤里・連孝里(引用者注:現在の城南洞あたり)で城南川(佳陽川)と合流させ、玄岩里(三省洞)にて大田川の下流と合流させる工事だった。この工事により大田地方の由緒深い宋時烈の旧居と蘇堤湖伝説・蘇堤湖春光(引用者注:旧大田八景の一)は姿を消すこととなった

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by eowjs | 2005-06-21 15:07 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(2)
Commented by りうめい at 2013-06-21 12:08 x
はじめまして。白石鉄二郎のことをしらべていたらこちらの記事に参りました。
白石鉄二郎は下馬関商人白石正一郎と関連がある人物なのでしょうか…白石正一郎宅の近くに東光寺というのがありました。
この橋は東光寺の東光からつけられた橋なのではないかな、と勝手に推測していますが、ブログ管理人様のお考えも伺えたらと思いコメントを残していきます。

大田の詳しい記事、とても参考になりました、ありがとうございます。
Commented by eowjs at 2013-06-25 18:41
りうめい様、コメントありがとうございます。この欄にお返事を書こうと思ったのですが、文字数をオーバーしたとのエラーメッセージが出ましたので、ブログ本文の方に書きました。よろしければお暇なときにご覧ください。↓こちらです。
http://shinkiku.exblog.jp/20701255/