韓国大田(テジョン)にて
2021-06-10T09:26:37+09:00
eowjs
韓国大田にて
Excite Blog
ひらひらと
http://shinkiku.exblog.jp/29550314/
2021-06-07T15:01:00+09:00
2021-06-10T09:26:37+09:00
2021-06-07T15:01:19+09:00
eowjs
つぶやき
]]>
済州へ
http://shinkiku.exblog.jp/29158836/
2020-08-30T09:44:00+09:00
2020-08-30T09:44:12+09:00
2020-08-30T09:44:12+09:00
eowjs
韓国について
今回の一番の目的は漢拏山(ハルラサン)に登ること。漢拏山(ハルラサン)登山は城板岳コースで登り、観音寺コースで下りてきた。登りは標高1500メートル付近まで木の下を歩くので思ったより暑くなく、こう配もさほど急でもなかった。でも途中から急になり、汗が滝のように出てくる。上に着いて白鹿潭が見えたときは嬉しかった。そこでごはんを食べた。下りは勾配が急なところもあって、こちらから登ったら大変だろうなと思った。この日の登山では距離にして23kmほどを歩いた。
山以外には美しい海水浴場や牛島、済州の3人の始祖が地中から飛び出してきたという伝説の舞台である三姓穴などへ行った。楽しい旅行だった。
]]>
内職
http://shinkiku.exblog.jp/29087565/
2020-07-09T11:14:00+09:00
2020-07-09T11:14:42+09:00
2020-07-09T11:14:42+09:00
eowjs
つぶやき
時期が重なるかどうか覚えていないが、母はほかにもミシンで人形の靴下を縫う内職もしていた。小さくて可愛い靴下だった。母がミシンに向かっている後ろ姿のかすかな記憶がある。
今思うと当時は借家住まいで両親は自分たちの家を買うために貯金に努めていたのだろう。子供たちが幼稚園に通うようになって子育てが一段落し、空いた時間を有効利用しようとして内職を始めたのだと思う。
韓国語では内職のことを「부업(副業)」と呼ぶようだ。本業があってこその副業だろうが、主婦は主婦業が本来の職務ということなのだろう。検索してみたら「부업(副業)」を紹介するインターネットサイトがあった。
http://www.booupnara.com/
仕事の内容はインターネットで商品のレビューを書いたり、コメントをつけたりするものが多いようだ。韓国の今の幼い子供たちは母親がノートパソコンを開いて一生懸命にタイピングしている姿を心の片隅に記憶しながら育っていくのかもしれない。
]]>
4月15日(水)は韓国国会議員選挙の投票日
http://shinkiku.exblog.jp/28925025/
2020-04-05T20:26:00+09:00
2020-04-06T09:09:27+09:00
2020-04-05T20:26:21+09:00
eowjs
大田(テジョン)の今
僕も今までに市長選挙、市議会議員選挙などで投票したことがある。だが、
大統領選挙や国会議員選挙は外国人に投票する権利はない。
今朝、出かけようとしたら郵便受けに「投票案内文・選挙公報」が入っていた。
なぜか僕宛てにも来ていた。今年の4月15日(水曜日)に国会議員選挙が予定されて
いることはカレンダーも赤い字で休日になっているしニュースなどで見て知っていた。
僕は外国人なので国会議員選挙は投票はできないはずだから、
投票案内が郵送されて来たのはおかしいなと思った。不審に思いながら
封筒の中身を見たら、今回、市議会議員と区議会議員の補欠選挙も同時に
行われるようだ。それで僕宛てにも送って来たらしい。
当日は外国人登録証(永住証)を持って投票所へ行けばよいのだが、
聞くところでは今回は時節柄マスクなしでは入場できないという。
また投票時には使い捨てのビニール手袋をはめてするらしい。
日頃の所信に基づいて一票を投じて来ようと思う。
]]>
内野健児氏の詩
http://shinkiku.exblog.jp/28800244/
2020-01-14T14:24:00+09:00
2020-01-14T14:55:03+09:00
2020-01-14T14:24:39+09:00
eowjs
韓国について
内野氏は1899年に長崎県対馬の厳原で生まれ、対馬中学校、広島高等師範学校を卒業し、1920年に福岡県立鞍手中学に国語及漢文の教諭として赴任した。
1921年に両親の希望により朝鮮での勤務を考え朝鮮総督府へ出向、同年忠清南道大田の大田中学校(1917年開校)教諭となった。
1922年に大田の本町1丁目の小幡方に「耕人社」を設立し文芸誌『耕人』を創刊、主宰する。1923年に第一詩集『土墻に描く』を発刊するが総督府により発禁押収された。1925年に京城公立中学校へ転勤し、『耕人』終刊。
のち1928年に総督府により京城公立中学校教諭を罷免され、朝鮮追放を宣告された。
帰国後は「新井徹」の名でプロレタリア文学の分野で活躍したが
1933年に『プロレタリア詩集』のことで杉並署に検挙2ヶ月にわたり拘留、
1937年には『詩精神』のことで中野署に検挙されるなどして体をこわし、肺を病んで
1944年に永眠した。
(新井徹著作刊行委員会(1983)『新井徹の全仕事』創樹社 所載の年譜を参考にしました。)
約100年前の大田で若き日の内野氏は教鞭をとりながら詩を作り、同人誌を編集していたのだ。
上記『新井徹の全仕事』には大田中学時代の教え子であった辻萬太郎氏の文章も収録されている。
それによると辻氏が大田中学に入学したのは1921年の春で、入学式で担任教員として紹介されたのが年若い色白の美青年内野健児氏だったそうだ。授業はすこぶる熱心で担任としても情熱をもって生徒たちに臨み、時には悪童たちを教壇にならべて頬うちをくわせることもあり、学生たちは「アニキ」というニックネームで呼び敬愛の情を表したという。
辻萬太郎氏はのち大田の本町2丁目で父君から受け継いだ辻醸造所を経営された。「富士忠」ブランドの醤油を朝鮮だけでなく満州でも販売するなど優れた経営手腕で事業を発展させ、各種の役職に名を連ね、戦前の大田の日本人社会では知らぬ人のいないリーダー的存在として活躍された。
ところで僕は詩についてまったくの門外漢だが、目にした内野氏の詩の中でおもしろいと思った作品をひとつ紹介したい。第二詩集『カチ』(1930)所収の「キミチの季節」という詩。冬の初めのキムチ漬け(キムジャン)の情景を詩にしたのだと思う。100年近くたって今ではキムジャンをしない家も少なくないと聞くが、キムジャンの文化は綿々と受け継がれており、韓国の人々は今も毎日「野」と「山」と「海」の「精気」がこめられた「キミチ」を食べている。
キミチの季節
野から街へ続くのだキミチの季節を続くのだチゲで続くのだ、車で続くのだ土の戦士の繰込だ百姓どもの進軍だ市場は山だ白菜の山だ、大根の山だ遂々市場の占領だみんな出て来い用意しろ!甕を並べよ、洗へよ日に乾せよそして大根だ、白菜だ詰めよ詰めよ、詰め込めよ芹より、辛子よし野の精気を封じ籠め栗よし、茸(たけ)よし山の精気も封じ籠め貝よし、海老よし海の精気も封じ籠め金の笄(かうがい)・玉飾り典当舗(しちや)に置いてもカシーナいそげオモニもいそげさあ市場へ繰込だ街の女軍の進撃だ
註 キミチ・・・漬物。朝鮮では如何な貧しい家でも朝鮮漬をつけないではおかない。カシーナ・・・娘オモニ・・・母
1927・12
]]>
大田(テジョン)駅にて
http://shinkiku.exblog.jp/28779754/
2020-01-01T15:28:00+09:00
2020-01-01T15:30:21+09:00
2020-01-01T15:28:45+09:00
eowjs
大田(テジョン)の今
]]>
テジョン地下鉄の反日ポスター
http://shinkiku.exblog.jp/28642005/
2019-10-18T14:32:00+09:00
2019-10-18T18:41:14+09:00
2019-10-18T14:32:45+09:00
eowjs
大田(テジョン)の今
ポスターの右側には黒字に白い字で大きく「己亥倭乱」とありその下に「歴史を忘れた民族に未来はない」と書いてある。今年(2019年)は「己亥(つちのとい)」の年であり、昨今の日韓間の一連の軋轢と葛藤を豊臣秀吉の朝鮮出兵(韓国では「壬辰倭乱」と呼ばれる)に比喩しているようだ。「歴史を忘れた民族・・・」云々は日本を指しているらしい。
さらにその下には「NO安倍! われわれが勝つ」と書かれている。「NO」の「O」の字は放射能標識となっており福島の原子力発電所事故による放射性物質の影響を暗示(揶揄?)している。さらに「勝つ (이긴다)」 の「ㅇ」の部分は太極マークになっていて韓国の勝利を強調している。
左の白地に黒い手形はハルビン駅で伊藤博文を銃撃した安重根(アン・ジュングン)のもの。安重根は1909年に抗日の意を共にする同士らと「同義断指会」を結成、左手の薬指を第一関節から切断して「大韓独立」と血書し独立運動に献身することを誓ったという。
このポスターは一枚だけでなく、上り線、下り線のホームに数枚ずつ貼ってあった。韓国に住む日本人としてちょっと暗い気分になった。でもポスターをよく見たら手形の上のところにボールペンで何か書いてある。
「과거에 얽매여선 앞으로 나아갈수 없다 !」つまり「過去に縛られていては前に進むことはできない!」という意味だ。反日ポスターに異議をとなえる落書きと言える。これを見て、韓国の人々も必ずしも一枚岩ではないのだなと思った。
]]>
大田(テジョン)の写真記録物アーカイブ『대전찰칵!』
http://shinkiku.exblog.jp/28406822/
2019-06-18T13:10:00+09:00
2019-06-18T13:10:33+09:00
2019-06-18T13:10:33+09:00
eowjs
備忘録
ホームページ「대전찰칵」http://photo.daejeon.go.kr では1950年代から現在までに撮影された47万枚の写真を見ることができる。
興味深い写真も多い。一度ご覧ください。
]]>
家にあるヤバい薬
http://shinkiku.exblog.jp/28400069/
2019-06-15T20:35:00+09:00
2019-06-15T20:35:51+09:00
2019-06-15T20:35:51+09:00
eowjs
備忘録
]]>
宝文山の夜景
http://shinkiku.exblog.jp/28300035/
2019-05-12T08:38:00+09:00
2019-05-12T08:49:01+09:00
2019-05-12T08:49:01+09:00
eowjs
大田(テジョン)の今
大田駅の南西方向にある宝文山に夜景を見に行った。職場の同僚と登った。標高400メートルほどの山である。宝文寺の前の駐車場まで車で行ってあとは徒歩で30分ほどかかった。頂上の近くに百済時代の山城があったとされ復元されている。夜景が綺麗だった。
]]>
映画『ボヘミアンラプソディ』(テジョンにて)
http://shinkiku.exblog.jp/27775478/
2019-01-02T14:41:00+09:00
2019-01-02T14:50:28+09:00
2019-01-02T14:41:14+09:00
eowjs
備忘録
もう去年の話になってしまったが、年の瀬の日曜日に家内といっしょに儒城(ユソン)温泉CGVへ行って映画「ボヘミアンラプソディ」を見た。ご存知クイーンの伝記映画である。料金は一人11000ウォン。ほぼ満席で、高齢の夫婦や若いカップル、休暇中の軍服を着た軍人など客層は多様だった。
僕はクイーンの「ボヘミアンラプソディ」がヒットしていた当時リアルタイムで聞いた記憶がない。そのころは小学生だった。インターネットで調べると日本では「およげ!たいやきくん」が大ヒットしていた時期で、当時はそっちのほうに興味があった。友達とクロールするときのように手を回しながら「ま~いにち、ま~いにち、ぼくらは鉄板の~」と歌っていた。
FM放送で洋楽を聞くようになったのは中学生のときで、そのころクイーンはアルバム「THE GAME」を出した頃だったようだ。夜遅い時間のビルボードのヒットチャートを紹介する番組でDJの小林克也氏が「Crazy Little Thing Called Love」が一位と紹介していたのを鮮明に覚えている。復古調というのかサウンドが印象的だった。「THE GAME」はLPレコードを買った。今も実家にあるかもしれない。母が捨ててしまったかもしれないが。
当時「ミュージックライフ」という洋楽関係の雑誌があって僕は毎月購読していた。英語の塾に持っていって休み時間にその雑誌を見ていたら、グラビアか表紙にフレディマーキュリーの写真が載っていた。上半身が裸(だったと思う)のフレディの写真を先生(女性)が見て、「そういう雑誌はもってきてはいけません」と言われた。
韓国語では「QUEEN」は「퀸」と表記し、僕の耳には「キュイン」と聞こえる。韓国の人はよく日本語の外来語の発音がおかしいと言うが、この「QUEEN」に関しては「クイーン」のほうが原音に近いように思われるが、どうだろうか。
それと今後、『ボヘミアンラプソディ』のようにビートルズやローリングストーンズ、レッドツェッペリン、その他のミュージシャンに関する映画も作られたら見に行きたいなと思った。
なんというか映画『ボヘミアンラプソディ』とはあまり関係のない話になってしまった。映画自体は、時間のたつのを忘れて引き込まれるいい作品でした。
]]>
卓球韓国オープン(大田)に行ってきました
http://shinkiku.exblog.jp/27422446/
2018-07-21T15:01:00+09:00
2018-07-21T16:02:31+09:00
2018-07-21T15:01:10+09:00
eowjs
大田(テジョン)の今
南北統一チームが出ていて朝鮮半島の描かれた旗を持っている人があちこちにいる。
それから中国人選手の応援が多く「◎◎加油!」という声援がよく聞こえた。
日本人選手の試合も見た。水谷選手はドイツの選手に勝ったが、張本選手は惜しくも
中国選手に敗れた。
女子は石川選手と伊藤選手の試合を見た。石川選手がストレート勝ちした。暑い中
お疲れ様でした。試合は7月22日(日曜日)まで。
写真は伊藤美誠選手(左)と石川佳純選手(右)
]]>
申告・相談110 緊急・犯罪112
http://shinkiku.exblog.jp/27409413/
2018-07-13T14:03:00+09:00
2018-07-13T14:03:07+09:00
2018-07-13T14:03:07+09:00
eowjs
韓国について
今朝、地下鉄の大田市庁駅の交番の掲示板に貼ってあるのを撮影した。
急を要する場合は112番に電話、そうでない場合は110に電話しなさいということか。
とくに右側の男性の表情がとてもインパクトがある。
これの女性バージョンもあるので、次にどこかで見かけたら写真を撮ってご紹介したいと思う。
]]>
財布を落とした
http://shinkiku.exblog.jp/27366493/
2018-06-29T17:06:00+09:00
2018-06-29T17:06:25+09:00
2018-06-29T17:06:25+09:00
eowjs
備忘録
強い雨が降っていた。傘と買い物袋と財布を持っていった。
翌朝出勤しようと思っていつも財布を置いているところをみたが
見当たらない。カバンの中にもない。しばらく探したがないので
これは前日の夜に落としたかなと思った。
それで家からスーパーまでの道をゆっくり歩きながら探した。
その逆もよく探した。それでも見当たらない。
家に帰って電話でクレジットカードの停止をした。
ハナ銀行のカードだったが、係りの人が他の会社のカードはないかと
言うのでサムスンカードもあると言ったら、その場でそちらのカードも
停止してくれた。
ここまでして出勤した。外国人登録証と運転免許証の再発行は翌日以降にしようと
思った。調べると写真は3.5cm×4.5cmのがいるという。勤め先の近くの地下鉄駅に
即席写真機(?)があったのを思い出して歩いて行って撮った。6枚1万ウォン。
翌朝、出勤前に入管に行こうかなと考えていると携帯が鳴った。
知らない番号だ。出ると、団地の警備員さんが財布を拾ったので
取りに来るようにという電話だった。名刺を何枚か入れてあったので
それを見て電話をくれたらしい。
中身はそのままだが、水に濡れている。
聞くと下水口の入り口にひっかかっていたそうだ。
落とした財布が雨水に流されて、そこにあったのだろう。
警備員さんに少しだが謝礼をした。どうせ入管に行って
外国人カードを再発行するには何万ウォンか要るだろう。
財布が出てきてうれしかった。
不思議なのは落とした記憶がまったくないことだ。
物を紛失するときというのはそういうものなのかもしれない。
]]>
地下鉄の蛾
http://shinkiku.exblog.jp/27355621/
2018-06-23T11:06:00+09:00
2019-05-26T00:28:14+09:00
2018-06-23T11:06:02+09:00
eowjs
備忘録
座ることができた。
途中、市庁駅あたりで、ちょっと大きめの蛾が車内をひらひらと
飛んでいるのに気がついた。そして向かいの座席の女性に近づいて
いった。
スマホを見ていたその女性は自分のそばに飛んできた蛾に気がついて
たいそう驚き慌ててふためき、蛾を払いのけるようにして立ち上がり、
少し顔を赤らめて別の車両に移って行った。
蛾は次にその近くのおばさんの黒いカバンにとまった。その人はあわてず騒がず
蛾を追い払った。蛾はつぎにドア近くで窓のほうを向いて立っている若い女性のほうに
行った。イヤホンをつけて後ろ向きだった女性は最初知らなかったが蛾の存在を知って
びっくりして、龍汶駅でドアが開くとすぐに出て行った。
蛾は乗客の座っていない椅子にとまった。蛾はどうなるのだろう。たぶん板岩の終点
まで行くだろう。その後どうなるか。うまく車外に出られるだろうか。それまでに
誰かに叩き潰されてしまうのではないか。
たまたまかばんに透明のビニール袋があったので僕はとなりのおばさんに
「제가 잡을께요」と言って蛾をその袋に入れた。そして心の中で蛾に
「10分ぐらい我慢しろよ」と言った。
大洞駅に着いて、地下鉄を降り、階段を上って地上に出た。ハナ銀行の前で
ビニール袋の中にいた蛾を放してやった。頭のところがオレンジ色のその蛾は
解放されてひらひらと舞い上がり、道路の反対側の街路樹のほうに飛んでいって
見えなくなった。
蛾はどこから来たのだろう。始発の盤石駅から乗って来たのなら、ずいぶん遠い。
みんなに嫌悪されている蛾ではあるが、無事に家族のもとに帰れることを祈った。
]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/