人気ブログランキング | 話題のタグを見る

韓国大田(テジョン)にて

shinkiku.exblog.jp
ブログトップ

終戦時の忠清南道知事 2

1945年8月、終戦時の忠淸南道知事であった朴在弘(日本名:増永弘)氏。新聞記者出身で現世宗市政務副市長の邊平燮氏がその朴氏に対し1975年5月に行ったインタビューを紹介するページ(韓国語)をインターネットで見つけた。その内容をかいつまんで紹介したい。以下の文章の「私」は朴氏。

 父は抗日義兵將として長く日本と戦っていた。父は抗日運動家なのにその息子は日本統治下の朝鮮で道知事を務めたのはアイロニカルなことである。しかしそれにはそれなりの理由がある。

 17歳(注:数え年だろう)のとき抗日闘争をしていた父が腸チフスにかかり当時論山にあった家に戻ってきた。そしてその後を追って日本の憲兵らが飛び込んできた。彼らはふとんをかぶって寝ている父を連行しようとした。私は言った。「おまえたちの見るように父は今病気である。その父を連れて行くのか。どうしてもというなら代わりに私を連行せよ」と。すると日本軍の伍長が「お前はまだ幼いから」と最初は拒否したが結局は根負けして私を連れていった。そして数日後にまだ子供であるという理由で釈放された。

 それでうちに戻って日本語を勉強していたのだが、日韓併合となってほどなく郡庁から私を呼びに来た。行ってみると郡庁で日当20銭を与えるので日本語の通訳をせよとのことだった。それほど当時は日本語ができる人がいなかった。そのころ土地分割事業が進められていたが日本人との意思疏通ができず韓国人の中には損をする人が多かった。私はこれらの韓国人のために働けるチャンスだと思い郡庁の臨時通訳職となった。これが私が日帝のもとで官吏として第一歩を踏み出したきっかけである。(つづく)

by eowjs | 2013-01-03 14:21 | 大田(テジョン)の昔