韓国大田(テジョン)にて

shinkiku.exblog.jp
ブログトップ

終戦時の忠清南道知事 4

前回と前々回に続いて1945年8月に忠清南道知事として大田(テジョン)で終戦を迎えた朴在弘氏のインタビュー(原文韓国語)をここに載せます。今回が最終回です。

とにかく私が忠清南道の道知事として在任中に一番やりがいのあった仕事は軍隊の米をもらい受けて市民の飢餓問題を解決したことだ。「皇軍」と呼ばれた日本の米を取り上げてきたのは私だけだったと思う。

終戦だが、8月14日に総督府から前もって連絡があった。明日の正午に天皇のラジオ放送があるから聞くようにとのことだった。私は直感的についに日本帝国の最後がやってきたかと思った。翌日、すなわち8月15日に私は知事室から他の人たちを出てゆかせ、一人で12時に天皇の放送を聞いた。果たせるかな私の思っていた通り日本が連合軍に無条件降伏するという内容だった。

その瞬間、 私は目を閉じて35年間の私の官職生活を振り返り、栄光と屈辱の日々を反芻してみた。ほんとうに忠南道庁の知事室における1945年8月15日のその瞬間は私の血を凍らせるような永遠に忘れられない瞬間だった。

即刻各部長を呼んですべての傘下職員らに米軍が進駐してくるまで持ち場を離れずに与えられた任務を忠実に遂行するよう指示した。特に経理関係をちゃんと整理して公的であれ私的であれすべての債務関係をきれいに清算するようにと言った。

8月15日の夜、大田の唯一の地方新聞だった「中鮮日報」が民族解放と日本の降伏について詳しく報道した。この日の記事は全部ハングルで書かれていたが、忠南道民らは久しぶりに目にするハングルに解放を実感し、感激した。 (了)



原文URL

http://cihc.or.kr/hi.do?brd_id=cihc_0403&lst_idx=2821&lst_upidx=2821&menu_id=menu1&svc=ArticleView
[PR]
by eowjs | 2013-01-07 11:00 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(0)