韓国大田(テジョン)にて

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白石鉄二郎氏作詞の大田小学校校歌

戦前の朝鮮の初等教育や学制に関する知識はゼロに近いが、大田の初等教育に関しては、まず朝鮮人が通った学校と日本人が通った学校があったと理解している。前者は「普通学校」で現在の三省初等学校や新興初等学校がその後身。後者は大田川にかかる大興橋(テフンギョ)のたもとにあった。1980年ごろまでは元洞国民学校として残っていたが、廃校になったという。田中麗水『大田発展誌』(1917)に日本人の通った学校の沿革が出ていたので以下に引用したい。

 明治39年(1906)4月大田小学校として開校し、41年(1908)12月大田居留民会立尋常高等小学校と改称し更に45年(1912)4月に大田尋常高等小学校と改む。大正3年(1914)より高等科女子補習科を併置す。開校当時17名の入学生徒数なりしも大田の市勢発展に伴ひ年々就学生増加し大正6年(1917)4月末に於て568名の生徒数となり(中略)狭隘なるを以て埋立地に二階建130坪の校舎を新築する計画なり。
 大田小学校の校歌として第二期管理者白石鉄次郎(ママ)氏の著作になる校歌は左の如くなるが以て大田小学校の紀念たるべし。

大田公立尋常高等小学校校歌 井上通泰 校閲 白石鉄次郎 作詞 田村虎蔵 作曲

一、対馬水道、わたり来て、第二のふるさと、つくりたる、父母の努力を、おもひ見よ、大陸かけて、みちわたる、君が御稜威を、あふぎ見よ、われらは幸ある、身ならずや。

一、鶏龍山は、たかけれど、よづるにかたき、ものならず、まなびの道は、とほくとも、うまずたゆまず、いざゆかん、大田川の、かたときも、やすまぬ水を、かゞみにて。

一、心をみがき、身をきたひ、つよくたゞしき、人となり、名をあげ家をも、興してん、あやに尊き、大君の、しこの御楯と、なりぬべく、いざやはげまん、もろともに。
『大田発展誌』pp.37-39より

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by eowjs | 2013-06-29 12:54 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(2)
Commented by りうめい at 2013-07-02 23:55 x
eowjsさま、記事拝見しました。白石鉄二郎のイメージというものがどんどん変わっていきます。田中麗水『大田発展誌』が非常に気になります。
Commented by eowjs at 2013-07-03 08:46
りうめい様、コメントどうもありがとうございます。大田の歴史についても関心を持って下さり感謝しております。『大田発展誌』は1917年に出版されたのですが、景仁文化社という出版社が1989年に影印本を出しており、これが各地の公共図書館および大学図書館に所蔵されています(韓国地理風俗誌叢書の第55巻です)。以前オンラインで見ることができ、僕はそれを印刷して持っています。今回そのURLを探したのですが、たどり着けませんでした(涙)。調べましたところ国立中央図書館、ソウル図書館、国会図書館その他にあるようです。りうめい様ソウルにお住まいならば、きっとお近くの図書館にあると思います。