韓国大田(テジョン)にて

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延世大語学堂で勉強した頃①

僕は大学生だった1989年頃から韓国語の勉強を始めた。最初はNHKラジオのハングル講座を欠かさずに聞いた。そのあと、日韓交流協会(という名前だったと思う)でも習った。先生は僕の通っていた大学の大学院に留学していたソウル出身の女性で、一週間に一回だったがとても楽しく勉強した記憶がある。ハングルを声を出して読むだけでも嬉しかった。休み時間に飲んだ冷たい「メッコル」の味が懐かしい。

先生が研究が忙しくなってやめ、あたらしい先生が来られた。優秀な先生だったが僕とは合わずそこでの受講はやめてしまった。2年留年して6年通った大学を卒業したあと、韓国で韓国語を勉強したいと思ってフリーターをしながら少しずつお金をためた。当時は高麗大、梨花女子大、延世大、西江大などに外国人向けの韓国語学校があったが、知り合いが通っていた延世大の韓国語学堂に行きたいと思った。

願いがかなって1992年の秋からソウルの延世大学校韓国語学堂で韓国語を勉強することになった。現在はシステムが変わっているかもしれないが、当時は1級が初級で、6級まで終えると卒業だった。春学期、夏学期、秋学期、冬学期があり、滞りなくゆけば1年半で卒業できる。レベルテストを受けた結果、僕は4級のクラスに入るようにと言われた。

2年ほど住んだ大阪のアパートを引き払い、ショルダーバッグ一つと寝袋をもって大阪南港から阪九フェリーに乗った。翌朝に小倉だったかに着いて、電車で下関まで戻り、夕方まで時間をつぶしてから関釜フェリーに乗り釜山へ向かった。10月のフェリーの雑魚寝エリアは閑散としていた。当時ソウルに知り合いのYさんご夫婦が住んでおられたので最初の夜一泊お世話になった。

翌日、延世大語学堂の学生課事務所に行った。下宿を紹介してもらおうと思ったのだ。窓口の近くに立っているとメガネをかけた兄ちゃんが声をかけてきた。彼と話しながら「下宿を探しに来た」と言ったら、彼は「じゃあ僕が今いる下宿に来ればいい。朝晩出るごはんはうまいし、おばさんもいい人だ」と言った。彼は20代後半だった。韓国で生まれて幼い時に両親についてカナダに移民したのだと言った。彼は父母の国の言葉である韓国語を語学堂で勉強していたのだ。

彼の後について下宿に向かった。延世大正門前の鉄道ガードをくぐってちょっと行ってから右に曲がった。にぎやかな飲食店街の一角にあるビルの上の方が学生向けの下宿屋になっていた。部屋を見たら気にいったのですぐに契約した。朝食と夕食つきの「一人部屋(독방=独房)」で一か月たしか35万ウォンだった。

この新村(シンチョン)の下宿屋の一人部屋で僕の韓国生活が始まった。今から22年前のことだ。(つづく)
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by eowjs | 2014-12-26 15:46 | 韓国について | Comments(0)