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韓国大田(テジョン)にて

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李良枝さんの芥川賞受賞から20年

李良枝(イ・ヤンジ)さんが小説『由煕』で第100回芥川賞を受賞したのは1989年1月12日のことだから丁度20年前のことになる。そのころ僕は卒業論文が書けずに大学留年が決まって頭を丸めたのであった。何故そうしたのか思い出せないが、たぶん自分が情けなかったのだろう。行きつけだった烏丸鞍馬口の「餃子の王将」の店員がその頭を見て少しだけ驚いた。

その頃、新聞で偶然『由煕』の広告を見た。夜の12時過ぎた時間だったが、読みたいと思ってすぐに地下鉄北大路駅の近くにあった本屋へ自転車で買いに行った。今もあるのか知らぬが、当時京都には夜遅くまで開いているそんな本屋があったのだ。

悶々としていた僕の心に『由煕』の内容はストレートに届いた。それがきっかけになって韓国語に興味を持ち、勉強し始めた。そして何とか大学を卒業して1992年の秋に延世大学韓国語学堂に留学したのだが、その時に李良枝さんはもうこの世を去っていた。残念だった。

当時ソウルの恩平区に住んでおられた知り合いのYさんご夫婦(日本人)のお宅に伺ったとき偶然李良枝さんの話が出た。李良枝さんに会ったことのあるYさんは「姐御肌の人だったなあ」と言われた。生前に一度でいいからお会いしたかったと思った。

今、手元に『李良枝全集』がある。1998年にソウルの教保文庫で買ったのだが、これは僕が持っている唯一の「全集」だ。37歳で亡くなった彼女の全集は一冊。ときどき寝る前に「由煕」「刻」「かずきめ」「ナビタリョン」などを読む。当時の新鮮な感動と今の感想は異なるものの、やはりこの人は僕が韓国に関心を持つようになった原点であり、一生忘れない作家となるだろう。

李良枝さんの芥川賞受賞から20年_e0008743_11242029.jpg李良枝全集の帯(腰巻)には次のようにある。

「韓国と日本。二つの国、二つの言葉に引き裂かれながら、懸命に生き抜くことを意志した、魂の証し。」
「20歳の手記から絶筆『石の聲』に至るまで、民族、家族、言語、芸術、舞踊など、様々な問題に立ち向かい、37歳で夭折した李良枝の全文章を収録した決定版、全一巻。」

李良枝(1955―92)

在日韓国人二世として生まれる。中学・高校時代、家出を繰り返す。上京後、韓国の伽倻琴、巫俗伝統舞踊に魅了され、本格的に習い始める。そのころ、「冤罪事件」として知られる丸正事件の主犯とされた李得賢氏の釈放要求運動へ参加し、ハンガーストライキを行う。27歳の時ソウル大学へ入学、このころから小説を書き始める。88年に発表した「由煕」で芥川賞を受賞、ソウル大学卒業後、梨花女子大学舞踊学科大学院へ入学。出雲、富士吉田、ソウル等で踊りの公演を行う。大学院単位取得後、日本で小説執筆に専念。92年5月22日、急性心筋炎のため、逝去、享年37歳。

『由煕』の芥川賞の選評を読むと興味深い。
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/jugun/jugun100IY.htm
by eowjs | 2009-01-29 11:20 | 韓国について