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韓国大田(テジョン)にて

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カテゴリ:大田(テジョン)の昔( 32 )

大田八景(旧 その一)

『朝鮮寰輿勝覧』(※)による大田八景

鶏足疎雨:(鶏足山にまばらに降る雨)
宝文初月:(宝文山の新月)
九峯矗石:(九峯山に聳える石)
甲川落雁:(甲川に降り立つ雁の群れ)
儒城暮煙:(儒城の夕暮れの煙)
楚江漁火:(大清湖の漁り火)
食蔵返照:(食蔵山に照り返す陽光)
高山暁鐘:(高山寺の暁の鐘の音)


※『朝鮮寰輿勝覧』
1910から37年までの韓国の人文地理現況をまとめた韓国最大の地理書。忠清南道公州の儒学者李秉延が1910年から100余名を動員して12年間にわたり全国13道229郡のうち129郡を調査して編纂した百科事典的地理書。


ひとこと
出典の書名は韓国語では「조선환여승람」となる。「寰」は日本の漢字音では「クヮン」で「宇内、区域、地域」という意味らしい。

さて、

「鶏足疎雨」と「宝文初月」はは今も当てはまるだろう。

「九峯矗石」もまた然り。
弘道塚のある大田市公設墓地の背後の山が確か九峯山。

「甲川落雁」はどうか。今も水鳥の姿を多くみかけるが、水が汚い。

「儒城暮煙」は昔の儒城の鄙びた夕暮れの景色は今となっては想像すべくもない。観光特区の不夜城、遊興街である。

「楚江漁火」はどうだろう。大清湖は1980年代に全斗煥大統領の時代に出来た人造湖なのでダムによって塞き止められる以前はあのあたりを「楚河」といったのだろう。今ナマズ、フナ、コウライケツギョなどは獲れようがはいさり火は見たことないな。

「食蔵返照」と「高山暁鐘」は今も通用しよう。高山寺は一度行ったがかなり山の奥深くにあった
気がする。俗界を離れた地という感じがした。
by eowjs | 2005-06-23 13:20 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(0)

東光橋

元洞交差点と大洞交差点の間、大東川にかかる橋から南を見るとある小さな橋。大田(テジョン)駅に近い。欄干には「昭和2年10月」と刻まれていたようだが、「昭和」の文字は削り取られている。大東川は昭和の初めごろの治水工事で整備された川。現在も水量は少ないが流れている。
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『大田市誌』上巻(古いほうの版)の該当箇所を見てみよう(直訳)。

大田の都市施設において大田治水工事及び下水工事がもっとも急務であった。1926年4月の大田面の拡張は大田の市街地の姿を変貌させる契機となった。長い間大田居留地大田指定面の中心人物として活動してきた渡辺寛治(木尺)が大田面長を辞任帰国、後任として農園(鉢岩里:現在の忠清南道庁の位置)を経営し、大田繁栄会長だった白石鉄二郎が大田面長に就任し、長年の課題であった治水工事及び下水工事を施工することになった。1926年3月に治水工事及び下水工事費本府(注:朝鮮総督府)及道費(忠清南道)補助が決定し(中略)1927年6月に治水工事が起工された。
大田治水工事とは大田市街地の中心部を貫流していた大東川・板岩川(三丁川)の氾濫を防ぐためにこの二筋の川の流れを新垈里(新興洞)付近で大東川に掘鑿合流させ、この大東川を蘇堤湖を経て蘇堤里・連孝里(引用者注:現在の城南洞あたり)で城南川(佳陽川)と合流させ、玄岩里(三省洞)にて大田川の下流と合流させる工事だった。この工事により大田地方の由緒深い宋時烈の旧居と蘇堤湖伝説・蘇堤湖春光(引用者注:旧大田八景の一)は姿を消すこととなった

by eowjs | 2005-06-21 15:07 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(2)