韓国大田(テジョン)にて

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翻訳した本が日本で出版

2年前ぐらいから翻訳をしていた本がやっとのことで日本で出版された。ご存知のかたもいると思うが、朝鮮戦争当時に忠清北道の永同の老斤里付近で米軍が住民を殺傷した事件(ノグンリ事件)があった。

その時に米兵の銃撃で二人の幼い子供をなくした鄭殷溶先生というかたがテジョンの佳水院に住んでおられる。縁があって、この方の著書「그대 우리의 아픔을 아는가」の日本語訳を頼まれたのが2年前の春だったと思う。戦争の悲惨さを日本の人にも知ってもらいたいとのことであった。戦火の中で二人の幼い子をなくされた鄭先生の心の痛みは想像を絶する。

僕が怠け者なので作業が遅れたが、その方がお元気のうちに本が出て本当によかった。(韓国の年齢でお年は今87歳。)

本は札幌の出版社(寿郎社)から出ました。内容などはこちらをご参照ください。
http://www.bk1.jp/product/03075397
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by eowjs | 2009-01-31 22:28 | 大田(テジョン)の今 | Comments(2)

李良枝さんの芥川賞受賞から20年

李良枝(イ・ヤンジ)さんが小説『由煕』で第100回芥川賞を受賞したのは1989年1月12日のことだから丁度20年前のことになる。そのころ僕は卒業論文が書けずに大学留年が決まって頭を丸めたのであった。何故そうしたのか思い出せないが、たぶん自分が情けなかったのだろう。行きつけだった烏丸鞍馬口の「餃子の王将」の店員がその頭を見て少しだけ驚いた。

その頃、新聞で偶然『由煕』の広告を見た。夜の12時過ぎた時間だったが、読みたいと思ってすぐに地下鉄北大路駅の近くにあった本屋へ自転車で買いに行った。今もあるのか知らぬが、当時京都には夜遅くまで開いているそんな本屋があったのだ。

悶々としていた僕の心に『由煕』の内容はストレートに届いた。それがきっかけになって韓国語に興味を持ち、勉強し始めた。そして何とか大学を卒業して1992年の秋に延世大学韓国語学堂に留学したのだが、その時に李良枝さんはもうこの世を去っていた。残念だった。

当時ソウルの恩平区に住んでおられた知り合いのYさんご夫婦(日本人)のお宅に伺ったとき偶然李良枝さんの話が出た。李良枝さんに会ったことのあるYさんは「姐御肌の人だったなあ」と言われた。生前に一度でいいからお会いしたかったと思った。

今、手元に『李良枝全集』がある。1998年にソウルの教保文庫で買ったのだが、これは僕が持っている唯一の「全集」だ。37歳で亡くなった彼女の全集は一冊。ときどき寝る前に「由煕」「刻」「かずきめ」「ナビタリョン」などを読む。当時の新鮮な感動と今の感想は異なるものの、やはりこの人は僕が韓国に関心を持つようになった原点であり、一生忘れない作家となるだろう。

e0008743_11242029.jpg李良枝全集の帯(腰巻)には次のようにある。

「韓国と日本。二つの国、二つの言葉に引き裂かれながら、懸命に生き抜くことを意志した、魂の証し。」
「20歳の手記から絶筆『石の聲』に至るまで、民族、家族、言語、芸術、舞踊など、様々な問題に立ち向かい、37歳で夭折した李良枝の全文章を収録した決定版、全一巻。」

李良枝(1955―92)

在日韓国人二世として生まれる。中学・高校時代、家出を繰り返す。上京後、韓国の伽倻琴、巫俗伝統舞踊に魅了され、本格的に習い始める。そのころ、「冤罪事件」として知られる丸正事件の主犯とされた李得賢氏の釈放要求運動へ参加し、ハンガーストライキを行う。27歳の時ソウル大学へ入学、このころから小説を書き始める。88年に発表した「由煕」で芥川賞を受賞、ソウル大学卒業後、梨花女子大学舞踊学科大学院へ入学。出雲、富士吉田、ソウル等で踊りの公演を行う。大学院単位取得後、日本で小説執筆に専念。92年5月22日、急性心筋炎のため、逝去、享年37歳。

『由煕』の芥川賞の選評を読むと興味深い。
http://homepage1.nifty.com/naokiaward/akutagawa/jugun/jugun100IY.htm
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by eowjs | 2009-01-29 11:20 | 韓国について | Comments(1)

のどかな旧正月(ユンノリ、雪)

ソル(旧正月)の連休、妻の実家へ行ってきた。義母やミョヌリ(嫁)たちはチャレ(茶礼)の準備、3度の食事の準備、皿洗い、来客のもてなしなどで忙しい。男たちはもっぱらテレビ、子供たちはニンテンドーDS、テレビ。

ユンノリをした。4本の木の棒を投げてその裏表の出方によりコマを進める遊び。女房のクンオッパ(長兄)夫婦、チャグンオッパ(次兄)夫婦、そしてわれわれ夫婦で競い、最下位の夫婦が昼飯の準備と皿洗いをするということになった。その結果、次兄夫婦が犠牲になった。

ソル当日は雪が降った。万葉の一番最後の歌、大伴家持の「あらたしき年の始めの初春の今日降る雪のいやしけ吉事」という歌を思い出した。 のどかな連休であった。

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by eowjs | 2009-01-28 09:19 | 大田(テジョン)の今 | Comments(2)

キム・グァンソクがギター1本で歌う「クァンヤエソ」

「광야에서(曠野にて)」という歌がある。1990年代に民衆歌謡と言われるジャンルで活躍した「노래를 찾는 사람들」の문대현氏が作詞作曲した歌である。노래를 찾는 사람들(略称は「노찾사」)のメンバーだった안치환(アン・チファン)や김광석(キム・グァンソク)もソロ歌手になってからこの歌をしばしば歌い、アルバムにも録音している。去年の촛불집회(ロウソク集会)でもアン・チファンが歌っている。

作詞作曲した문대현氏はこの歌について次のように述べている。

나는 늘 광야를 꿈꾸었다. 그 광야는 어느 시인의 것이기도 하고 또한 늘 술취해 부르던 노래 ‘아침이슬’의 광야이기도 했다. 끝없는 지평선, 광활한 대지, 혹은 만주 벌판을 달리던 고구려 시대, 그런 꿈들만이 나의 절망에 대한 안식처였던 것은 아니었을까?
제목은 자연스럽게 “광야에서”가 되었고 나의 독백은 가사가 되고 멜로디가 되고 또 노래가 되었다.

この歌をキム・グァンソク(1964-1996)がギター1本で歌っている。何というアルバムに収録されているのか知らないが、聞いていると粛然とした気分になる。2フレットにカポタストをつけてC E Am Am7 Dm F G7(以下省略)とコードは進む。よろしければ一度聞いて見てください。↓

https://www.youtube.com/watch?v=3PVFSkg4cXc


찢기는 가슴안고 사라졌던 이 땅에 피울음 있다
부둥킨 두 팔에 솟아나는 하얀 옷의 핏줄기 있다

해뜨는 동해에서 해지는 서해까지
뜨거운 남도에서 광활한 만주벌판
우리 어찌 가난하리오 우리 어찌 주저하리오
다시 서는 저 들판에서 움켜쥔 뜨거운 흙이여

해뜨는 동해에서 해지는 서해까지
뜨거운 남도에서 광활한 만주벌판
우리 어찌 가난하리오 우리 어찌 주저하리오
다시 서는 저 들판에서 움켜쥔 뜨거운 흙이여

다시 서는 저 들판에서 움켜쥔 뜨거운 흙이여

움켜쥔 뜨거운 흙이여






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by eowjs | 2009-01-23 11:25 | 韓国について | Comments(0)

弘明商街(ホンミョンサンガ)

大田(テジョン)駅前から忠南道庁に向かってまっすぐ伸びる中央路(チュンアンノ)が大田川とクロスする地点の手前左に弘明商街(ホンミョンサンガ)がある。

以前、木尺橋復元案の話に触れたが、この木尺橋(モクチョクキョ)復元事業の一環として弘明商街も今年中には撤去されるそうだ。(中央路をはさんで向かい側の中央百貨店は既に撤去された)

弘明商街の1階には電子商品や携帯電話、楽器、アクセサリーその他もろもろの雑多な商品を売る店がテナントとして入っている。2階から上はたしか「学院」などがあるはずだ。テジョン市民は一昔前までラジカセやCDプレーヤーなんかを買うときはまず弘明商街を訪れたものだ。

この建物の撤去に対する補償をめぐって大田市とテナントとして入居中の店の人たちの間でいろいろな葛藤があるというニュースを見た。残念なことである。龍山のような不幸な事態が起こらないよう、両者に一歩ずつ歩み寄っていただきたいと思う。
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by eowjs | 2009-01-22 11:13 | 大田(テジョン)の今 | Comments(3)

忠清道方言と「タシュー」

大田市では去年の10月から「市民共用自転車制度」を試験的に運営している。その名も「타슈(タシュー)」。「お乗りください」という意味の韓国語「타세요(タセヨ)」の忠清道なまりを制度名に採用しているのがおもしろい。大田ではそれほど耳にしないが、一般的に忠清道というと「그래요」が「그래유」になるといった具合に「~유」が代表的な訛りといわれているようだ。

それからしばしば耳にする笑い話に忠清道人は話す速度が遅いというのがある。父子が山で畑仕事をしていたら上から岩が転がり落ちてきた。息子は父に「아부지~ 바위가 굴러가유~!」と言うのだが、あまりに話す言葉のスピードが遅いため、危険を知らせる言葉を言い終わる前に父親は岩に当たって倒れてしまったという話。

「タシュー」は老人会館やコンビニ、住民センター(以前の「洞事務所」)など50箇所の貸出所の共用自転車を市民が必要なときに借りて目的地まで乗り、近くの貸出所に返却するシステムらしい。韓南大などの大学にもこうした自転車を備置しているという。

ところがこの自転車に乗っている人を私はまだ一度も見たことがない。どうなっているのだろう。フランス・パリなどでは「ヴェリーブ」というこれに似たシステムを導入してかなり好評を博しているそうだが。写真を見ると車輪の部分に大田市のマークが描かれていてデザインがちょっと野暮ったくはある。それに完全に自動車優先の韓国で自転車に乗るのは危ない気もする。まあ、暖かい春になったら一度利用してみたい。
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by eowjs | 2009-01-21 10:01 | 大田(テジョン)の今 | Comments(4)

「薯童謡(ソドンヨ)」はフィクションだった?

「朝鮮日報」などによると益山(イクサン)弥勒寺址石塔の解体修理で発見された「舎利奉安記」に「我百済王后佐平沙宅積徳女」と記されているらしい。とすると『三国遺事』の「薯童謡」の内容は事実ではないようだ。ウィキペディアで「薯童謡」を見ると次のように説明されている。

子供の頃、芋を売っていた璋(チャン=武王)が、三国一の美人と言われた新羅の善花(ソンファ)姫を知り、童謡を作って子供達に歌わせた。これが薯童謡である。

  善花公主様は こっそり嫁入りされて 薯童と夜に 密会している

これが都中の噂になり、宮中にも知れ渡り、善花姫は宮中から追い出された。薯童はこれを知り、善花姫と共に百済に移り住んだ。そこで薯童は黄金を沢山掘り出し、法師がそれを新羅の宮中へ神通力で運んだ。薯童はこうして人心を掴み王となった。


今回出土の記録では武王の后は百済の有力氏族である沙宅氏の出身となっており、『三国遺事』の内容と一致しない。「薯童謡」もフィクションであった可能性が高いようですな。
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by eowjs | 2009-01-20 09:22 | 韓国について | Comments(0)

今日はこうして一日が始まった

昨夜ビールと焼酎を飲んで早く寝たら朝の4時に目が覚めてしまった。当然ながら家族はみんな寝ている。昨夜は娘が「コッポダナムジャ(花より男子)」を見ると言っていたからきっと11時過ぎまで皆でテレビを見たのだろう。冷蔵庫から済州三多水を出して飲み、シャワーを浴びて服を着て今日の翻訳の仕事を一つ済ませてアップロードしたら5時過ぎだった。生ゴミを捨てに行くために外に出たら牛乳はもう配達されていた。6時前までぼーっとしていた。

6時になった。昨夜の残り飯とユッケジャンがあったが、ごそごそやって家族を起こすとかわいそうなので朝ごはんは食べずにそのまま静かに家を出る。走りながら途中ガソリンスタンドを横目でチェック。いちばん安いところは1275ウォンだった。8時ごろになると出勤のために急ぐのか殺伐とした運転をする人が多いが、この時間は道路もすいている。

職場は6時半ごろからセコムが解除されて建物に入れるのだが、あまり早く行くと警備員のおじさんがいぶかしがるので途中のヘジャンクク屋で飯を食う。テレビでは朝からドラマをやっていて嫁に行った娘が実家に戻ってきたのを父親が怒鳴っている。

7時ジャストに職場に到着。コーヒーを淹れて煙草を一服。さて今日は隠岐について勉強だ。おじさんの一日はこうして始まった。何の面白味もないですが。
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by eowjs | 2009-01-20 08:30 | 大田(テジョン)の今 | Comments(2)

出勤途中に注油

今日は車で出勤。燃料がほとんどなくなったのでガソリンスタンドに寄る。大田(テジョン)では最近は1リッターでだいたい1200ウォン代後半から1300ウォン代前半のガソリンスタンドが多い。去年の夏、一時は1900ウォンを突破したと記憶しているから、その時に比べればかなり下がった。

結局勤め先の近くの現代オイルバンクの注油所で満タンにしてもらった。ここは1275ウォンだった。46.275リッターで59000ウォン。茶髪にメガネのおニイちゃんがいわゆる「旅行用ティッシュ」一つをおまけにくれた。

今日は某ホームページの翻訳の校正(?)に行く約束がある。アレアハングル(HWP)ファイルで送った原稿を担当者がHTMLに移したら全部旧漢字になってしまったのだ。さてどうするか。頭が痛い問題。
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by eowjs | 2009-01-13 07:26 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)

地下鉄で出勤

未明から大田(テジョン)も雪。朝起きたら1センチほど積もっている。道路が凍ってすべりそうなので今日は車はやめて地下鉄で出勤。普段はほとんど地下鉄に乗らないので朝は混むだろうと思ったが、あに図らんや、余裕で座れた。
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by eowjs | 2009-01-12 07:52 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)