韓国大田(テジョン)にて

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釜山で野宿 その3

パスポートがなければ日本に帰ることができない。草梁の総領事館へ行ったが日曜日なので担当者がいない。インターフォンのボタンを押して守衛のおじさんに領事さんの電話番号を教えてもらった。連絡するととりあえず翌朝一番に来てくださいとのことだった。交番に行ってパスポートの紛失証明書だったか盗難証明書だったかを作ってもらった。

その晩はもうHさんも僕も旅館に泊まるお金がないので、二人でフェリーターミナルの敷地内の階段の下で寝ようとした。屋外でも階段の下なら夜露を避けられる。だが横になっていると守衛のおじさんが来て「ここは国家重要施設なので寝てはいけない」と言った。事情を説明するとおじさんは詰所(?)へ戻ってカップラーメンを二つ僕たちに手渡しながらどこか他の所で寝なさいと言った。体よく追い払われた僕らはありがたくそのラーメンを食べて近くのビルの植え込みの陰に寝床を移した。Hさんがどこからかダンボールを拾ってきたのでそれを敷いて寝た。蚊に刺された。

夜が明けた。翌日からHさんは勤務だというので何としてもこの日の午後の船に乗らねばならない。朝、下関からの船が着く時間を見計らってフェリーターミナルへ行った。船から降りてくる日本人にHさんが頼んでお金を借りることに成功した。すぐにその日の下関行きの切符を買った。Hさんはその足で自転車に乗って総領事館まで行き、臨時パスポートのようなものを発行してもらった。こうして何とか帰国することができたのであった。下関に着いたときは正直ほっとした。

以上が20年前に僕が釜山で二晩野宿することになった顛末である。今考えるとずいぶん無茶だったが、そのときは何とかなると思っていた。野宿も若かったから可能だった。忘れられない思い出である。 (了)

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by eowjs | 2012-06-28 12:09 | 備忘録 | Comments(0)

釜山で野宿 その2

次の日、僕は釜山駅の喫煙場所でタバコを吸っていた。今は禁煙してタバコを吸わないが、1991年当時は1日1箱ぐらい吸っていたと思う。韓国に旅行に来るといつも「88ライト」を買った。(当時1箱500ウォンか600ウォンだった)その喫煙所のベンチで隣に座っていたおじさんと言葉を交わした。鬱陵島のイカ釣り漁船の漁師だといった。そしてどういう経緯か覚えていないが、一緒にお酒でも飲みましょうという話になったのである。このとき僕が一人で飲みに行っていれば何の問題もなかったのだが、駅からほど近い旅館にいたHさんを誘ったのがあだとなった。

釜山駅前の向かって右手にあった「室内布張馬車(シルレポジャンマチャ)」という大衆酒場でナクチポックムを肴に焼酎を飲んだ。僕は酒が弱く少ししか飲めない。Hさんは僕よりは強そうだったが、それでも結局酔ってしまった。そして誰が言い出したか旅館でもっと飲もうということになった。3人で一緒に僕らが泊まっていた(というかHさんが泊まっていて僕が居候していた)旅館に移動した。もうかなり酔いがまわっており、少し飲んだら僕とHさんは眠くなって寝てしまった。どれぐらい時間が経ったか、目を覚ましたHさんがお金とパスポートがない!と言った。僕のパスポートは腰のウェストポーチにそのままあった。

盗まれたとは考えたくないが、Hさんは旅館に戻ったときは確かに有ったという。それで駅近くの交番へ行って、下手な韓国語で説明した。メガネをかけた若い警察官は親切で、パトカーに乗れと言って一緒に釜山駅付近をゆっくり走りながら、イカ釣り漁船のおじさんらしい人がいないか探してくれた。でも結局見つからなかった。韓国の警察の巡察車(パトカー)に乗ったのは後にも先にもこのときだけだ。(つづく)

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by eowjs | 2012-06-27 12:03 | 備忘録 | Comments(0)

釜山で野宿 その1

僕は1989年の春に初めて韓国を訪れ、縁があって1992年の秋から今まで韓国に住んでいる。あっという間に20年も経ってしまったが、振り返ってみると今までにはいろんな出来事があった。そうした中で思い出というか特別な経験を書き留めておこうと思う。

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1991年の8月、僕は釜山港にいた。旅行を終えて船の切符代だけ残し、手持ちの現金はほぼ使いきっていた。あとはフェリーに乗って下関へ向かえばよい。下関に着いたら日本の銀行のATMがあるからそこでお金をおろそうと思っていた。ところがちょうど台風が韓国南部に近づき、船が欠航してしまった。(今、調べてみるとその台風12号「グラディスGladis」は8月23日に麗水付近に上陸し、死亡91人、行方不明12人という大きな被害をもたらしたという)
국가기록원 나라기록
91년 울산을 강타한 글래디스 태풍

最小限、船の切符代は残しておかねばならない。残り少ない現金でカップラーメンを食べながら過ごした。そのラーメンの名前はたしか「旅情」といった。当時の釜山駅は今のように立派ではなかったが、その釜山駅の階段に座って食べた。当時駅前の地下通路に降りる階段に飲み物などを売るおばちゃんがいて、牛乳を買って飲んだ。200mlのパック入り牛乳が一つ150ウォンか200ウォンだったと思う。旅館に泊まるだけのお金がないので駅の切符売り場窓口近くに新聞紙を敷いて寝た。僕の隣でも青年が寝ていた。明け方、切符を買う人たちの足音で目が覚めた。

することもないので地下街を歩いて行けるところまで行き、地上に出て降りしきる雨の中をフェリーターミナルへ向かった。歩道橋の上で風のために傘が壊れた。今日も船は出ないという。もうお金がない。途方に暮れた僕はターミナルの待合室でぼんやりしていた。そこに組立式の自転車をかかえたおじさんが来た。日本人のように見えたので、勇気を出して声をかけてみると大阪のかたでHさんといい、自転車で釜山からソウルへと往復旅行しようとしたが台風に遭って途中から汽車で釜山に戻ったとのこと。僕と同様足止めを食って今日は船が出るかと確かめにきたという。他に頼る人もないので事情を話して投宿中の旅館に一緒に泊めてくださいと頼むと、快くOKしてくれた。

今思うと本当に仏様のように親切なかただ。Hさんは見ず知らずの僕においしいプルコギをおごってくださった。ありがたかった。その夜は安らかに布団で寝ることができた。この時点ではよもや、また野宿することになろうとは夢にも思っていなかった。(つづく)

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by eowjs | 2012-06-26 12:10 | 備忘録 | Comments(0)

マートへ行ったら休みだった

日曜日の午後、娘が冷やしそうめんを食べたいという。ねぎとしょうがはある。問題はつゆだ。このまえ家の近くのEマートトレーダーズへ行ったらキッコーマンの濃縮タイプのつゆの素が売っていたのを思い出し、自転車で走る。

マートに着いたら閑散としている。おかしいなと思ったら入口に今日はお休みと書いてあった。それでホームプラス儒城店へ行く。ここもお休み。しかたがないのでロッテースーパーへ行ったらここは営業していた。そこで韓国製のつゆのもとを買った。ずいぶんと走り回った。

知らなかったが、在来市場その他の流通業を保護(?)するために第2第4日曜日は大型マートは休みなのだそうだ。
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by eowjs | 2012-06-25 10:58 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)

合歓(ねむ)の花

今年もねむの花の咲く時期になった。何ともいえない女性的な美しさをもった花だ。梅雨どきに咲く花だが、今年は梅雨前線が上がってこないので、テジョンでは毎日暑い日が続いている。甲川(カプチョン)の土手の上にたくさんねむの木がある。よく見ると、ピンク色の部分の濃さが木によって少しずつ違う。人も顔かたちが違うように木にも株ごとにそれぞれ個性があるのだ。

芭蕉の「象潟や 雨に西施が ねぶの花」という句を思い出した。一度は象潟へ行ってみたい。行くならやはりねむの花の季節がいい。

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by eowjs | 2012-06-22 13:33 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)