韓国大田(テジョン)にて

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延世大語学堂で勉強した頃③

そのうち僕を下宿に案内してくれたPさんのルームメートだったC君と仲良くなった。彼はソラボル芸術大学の学生で、京畿道龍仁の出身だった。彼は僕のことを「ヒョン」と呼んだ。男なのだがなんとなく女性っぽくて薄く化粧し口紅も塗っていた。話しかたも女性っぽくて驚いたときなど「オモ(어머)!」と言っていた。でもホモセクシャルというのでもないようでC君にはちゃんと彼女がいて、自分が結婚したら両親が洋服の店を出してくれるのだと言っていた。

当時、延世大学韓国語学堂ではその日に習った文型を使って短い作文をするというのが毎日の宿題だった。僕は午前中の授業が終わって、学食で700ウォンぐらいの安い昼飯を食べてから下宿に戻ると、その宿題をした。そして作文を韓国語ネイティブのC君にチェックしてもらった。その意味で下宿での僕の韓国語の先生だった。

試験前になるとお返しに僕は彼の一般教養科目の教科書に出ている漢字語の読み方を教えてあげた。法学の教科書などには漢字が多くてC君はそれがほとんど読めないようだった。その意味では持ちつ持たれつという関係だった。

ある夜、C君が新村の下宿近くにある自分がアルバイトしているコーヒーショップに行こうといった。その日は非番だが、友達が勤務しているという。C君は「ヒョン、僕の友達がサービングしに来たら『ヤー、ノ、トッパロヘ』と言うんだよ」と言った。その通りに言ったら彼の友達は目を丸くしていた。

当時僕はたばこを吸ったが、C君もまたたばこを吸った。ところがC君のルームメートのPさんがタバコが大嫌いだったので、僕の部屋に吸いにきた。また梨花女子大学のSさんの部屋でタバコを吸いながら世間話をしたこともあった。おとなしそうに見えたSさんが喫煙するのはちょっと意外だった。

冬のある日に母が日本から小包を送ってくれた。クリスマスのころだったと思う。C君が何が入っているか気になるようで僕の部屋に来て小包を開けるのを見ている。セーターが入っていた。それを彼にあげたら「オモ」と言ってとても喜んだ。彼が喜ぶのをみて僕もうれしかった。

C君は僕が語学堂の6級になるころには大学を休学して軍隊に入った。女性っぽい面のあるC君が軍隊でちゃんとやっていけるか、ちょっと心配していたところ、手紙が来て、「体のあちこちが痛いので膏薬を送ってほしい」と書いてあった。気の毒ではあったが、僕も自分の引っ越しなどで忙しく、結局膏薬を送ってあげられなかった。

その後引っ越しをして連絡が取れなくなり、今に至る。新村の下宿でお世話になったC君のことは今もよく思い出す。
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by eowjs | 2015-01-04 00:16 | 韓国について | Comments(0)

延世大語学堂で勉強した頃②

下宿の部屋は最初は一人部屋だった。朝になるとおばちゃんが各部屋を回りながらドアをたたき「イロナー、アチムモゴー(起きて、朝ご飯食べなさい)」と起こして回った。僕はまだ布団がなかったので寝袋に入って寝ていた。おばちゃんはドアの隙間からそれを見たのか、「布団を買いなさい」と言った。それで新村の現代百貨店の近くにあった市場の布団屋まで連れて行ってくれた。そこで敷布団と掛布団を買った。

下宿にはソウル市内各大学の学生さんがいた。僕を下宿に案内してくれたPさんとそのルームメートでソラボル芸術大学のC君、延世大のK君、西江大のY君、梨花女子大のSさんなどと口をきくようになった。ほかにも社会人だったが弁理士(だったと思う)の資格を目指して勉強しているヒョンニムもいた。

このヒョンニムの洗濯を僕がときどきしてあげた。自分の洗濯をするときに「パルレオプスセヨ?」と聞く。もしあれば一緒に洗濯機を回して、脱水してから持っていった。そのせいかヒョンニムはときどき下宿の近くのポジャンマチャ(屋台)へ連れて行って夜食のキンパプ(海苔巻き)や辛いラーメンなどをごちそうしてくれた。たいがいの学生さんとは朝と夜のごはんの時に顔を合わせると世間話をしたが、やっぱり日本があまり好きでないのかほとんど口をきいてくれない人もいた。

おばちゃんの作ってくれるごはんは美味しかった。今でも思い出すのはたぶん骨を煮込んで作った白いスープで、食べる直前にネギと塩を好みの量だけ入れて食べた。おいしかった。(つづく)
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by eowjs | 2015-01-01 16:53 | 韓国について | Comments(0)