韓国大田(テジョン)にて

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蘇堤湖関連

『大田市誌』下巻(1979)を見ていたら
名勝古跡として出ていた。p.589である。


蘇湖
蘇湖は大田市蘇堤洞にあった「蘇堤防築」である。蘇湖は尤庵宋時烈の居宅の前にあった湖で、美しい景観と荇菜(ハナジュンサイ、アサザ)の産地として、また「長者井」の伝説でも有名。


宋鍾濂 (号 草庭 高宗時人 官 右侍直)
両両鳥鬟撥水開 菱歌撩乱答相催 鳬鷖蹴浪軽軽没 島嶼浮空灎灎来
翠帯優於千里菜 青帘猶得督郵盃 堤頭楊柳春風尽 誰檀江南第一才

宋秉璿 (号 渕斎 高宗時人 官 参判)
杞菊亭前水蔚藍 万松陰裏日■■ 荷葉楊花相断続 湖辺春色似江南

■は毛へんに参



難しい漢詩だ。荇菜というのは辞書によるとアサザ、ハナジュンサイだそうだが、具体的にどんな植物なのだろう。食用にでもしたのだろうか。蘇堤の長者の伝説は以前書いたが、「長者井」とは初めて聞いた。
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# by eowjs | 2005-07-05 17:23 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(0)

宋子古宅

宋時烈(1607-1689 号:尤庵)ゆかりの「宋子古宅」へ行ってきた。この地は前に書いた「蘇堤湖」のほとりに位置したという。しかし、大通りから路地を入ったちょっとわかりにくい所にある。

↑車がとまっているすぐ左の家の左手に復元された「宋子古宅」がある。


↑つきあたりに大田市が建てた説明板がある。「宋子古宅」は大田市の文化財資料第39号。


↑説明板。以下は直訳。

指定番号 : 文化財資料 第39号
位置 : 東区蘇堤洞305-78
尤庵 宋時烈(1607-1689)が1653年(孝宗4)に建て55歳になる1661年(顕宗7)まで居住した古宅である。「コ」の字型をした建物は後代に数度にわたる増改築を受けている。この付近一帯には大きな池である蘇堤防築と杞菊亭があったが、のちになって池は埋められ、杞菊亭は南澗精舍に移築された。
                                                  大田広域市

調べたら大田市東区のホームページに日本語のちゃんとした紹介があった。「かんーげい いだします」というのが少し気になるが、「みる」をクリックすると詳しい紹介が出てくる。↓


http://sj.donggu.daejeon.kr/jap/cultural-3.html#



門は閉まっているし、しきりに犬が吠えるので上の写真だけ撮って帰ってきた。

大通りに出るとこんな感じの景色が広がっている。これは北側を向いて撮った。もし100年ぐらい昔にこの位置から写真を撮ったら画面いっぱいに水をたたえて風に蓮の葉がゆれる蘇堤湖が写ったことだろう。

そしてこちらは南側を向いて撮った写真↓

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# by eowjs | 2005-07-05 11:55 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(0)

大田(テジョン)国際交流センター開所式

今日大田(テジョン)駅前に国際交流センターがオープンしました。今日はその開所式があり、行ってきました。


位置は大田(テジョン)駅の真ん前。東区中洞の旧・大田日報ビルの3階と4階。
式の後はお茶とお菓子で談笑。↓


こちらは事務室の入り口。↓

KBSのおじさんも取材に来ました。↓


いろいろな人とお話しました。フィリピンの人、フランスの人ともお話ししました。


関連ニュースはこちらです。↓

대전시, 국제교류센터 개소 (news wire)

大徳特区国際交流センターがオープン(大徳ネット)

대전국제교류센터 개소 [경향신문 2005.06.30 18:09:59]
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# by eowjs | 2005-07-01 16:13 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)

お墓参り

Y先生とM先生と一緒に、かつて大田(テジョン)に住んでいた日本人1500柱も合葬されている「弘道塚」へ墓参に行く。1945年にこの地で妹を亡くされた福岡のIさんは今年はいらっしゃらないが、今年も墓参できてよかった。赤とんぼがたくさん飛んでいた。写真の左隅に見える石碑は2005年の4月に新しく建てられたもので、大田市が予算を使って立派に管理してくれていることがわかる。この地に住んだ日本人の冥福を祈った。

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# by eowjs | 2005-06-29 15:16 | 大田(テジョン)の今 | Comments(0)

蘇堤湖 関連説話


むかし、蘇堤湖のあるあたりに長者が住んでいた。部屋数が99もある広い屋敷があったというから、たいした金持ちだったようだ。その昔、この長者のお爺さんはケチで有名な人物だった。人をまるで牛でも扱うようにこき使い、ご飯のおかずも段々減らしていったので、年老いてからは食事の際のおかずといえば醤油をなめるだけだったという。意地悪で気が荒いうえ自分が損をすることは絶対しようとはしない、そんな人だった。

ある日、小作人に牛小屋の積み肥やしを片付けさせていたのだが、その時一人の坊さんが托鉢にやってきた。家に入ってくるものは好きだが、出て行くのはいやだという長者は坊さんのほうへ走り寄ると小作人の持っていたくわを取って肥やしを托鉢の鉢に入れてしまった。だが、坊さんは何も無かったように恭しくお辞儀をして

「南無阿弥陀仏。観世音菩薩」

と合掌してその場を立ち去った。坊さんの鉢に肥やしを入れるのを台所から見ていた嫁が坊さんの泰然とした様子に驚き、即座にお米をどんぶりに一杯分前掛けに隠して、勝手口から飛び出し、遠くに去ろうとする坊さんを呼び止めた。

「拙僧をお呼びになりましたか ?」

坊さんが嫁をじっと見据えると、嫁は坊さんの鉢に米を入れて帰ってきた。

「かたじけない。南無阿弥陀仏」

お坊さんは帰って行く嫁を見ながら歩き出したがふと振り返り、嫁を呼び止めた。

「一つだけ教えてあげるのでよく覚えておいでなさい。明日の朝、機織りの機を持って前の山にお登りなさい。きっとよいことがあるはずです。しかし、ひとつだけ気をつけねばならぬことがあります。それは山に登るときに後ろからどんな音がしても絶対に振り向いてはいけないということです。」

坊さんはこう言って足早に去って行った。

次の日、嫁は坊さんが言った通り機を抱いて山に登り始めた。嫁は後ろを振り向いてはいけないという坊さんの言葉通り前をみて登っていった。もう少しで頂きというところで突然空が暗くなり始めた。上に行くほど空は暗くなり、雷が鳴りはじめ、だんだんそれが近づいてきた。それでも嫁は振り向かなかった。

雷の音がすぐそばまで近づいてきて、今にもここに落雷するかと思った。

その時嫁は坊さんの言いつけを忘れて後ろを振り返ってしまった。

先ほど自分が出てきた屋敷に雷が落ちて家は粉々になり、その上にまるで大海原の波のような大きな波が空から降ってきて屋敷のあった辺りに池が出来ているではないか。

嫁が呆気に取られて家の方角へ歩き出したその時、今度は先刻よりももっと大きい音がして雷が落ち、その瞬間、嫁は岩になってしまった。

機を抱いて走りだそうとするそのままの姿をした岩にである。

長者の屋敷があった辺りは大きな池となり、堤には芹がたくさん生えたという。まるで長者の家の穀物倉に山と積まれた穀物が肥やしになったかのようによく育ったという。

大田広域市東区庁のHPより
http://www.donggu.daejeon.kr/munhwa/sulhwa9.html
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# by eowjs | 2005-06-28 14:45 | 大田(テジョン)の昔 | Comments(0)